県民総がかりで請願署名を成功させ国会論議で辺野古新基地断念を勝ち取ろう!
県民へのアピール
「沖縄は、余りにも国家権力や基地権力の犠牲となり手段となり利用され過ぎてきました。復帰という歴史の一大転換期にあたって、このような地位からも沖縄は脱却していかなければなりません」。復帰前年の1971年11月、屋良朝苗主席が新生沖縄への決意の『建議書』を携え東京へ向かったが、国会到着前に米軍基地を残すことを前提とした「沖縄返還協定」が強行採決された。
1996年4月、前年に起きた米兵による少女暴行事件を受け「普天間基地の返還」で日米が合意した。しかし、日米両政府は沖縄県民の民意に反し移設先を沖縄本島東海岸に決定した。
同年9月「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する」全国初の県民投票が行われ 翌年の1997年12月には「名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票」が行われた。
2010年1月「辺野古の海にも陸にも新たな基地を造らせない」という公約を掲げた稲嶺進市長が誕生し、民意を体現する「オール沖縄の政治の源流」が生まれた。
2013年1月、米軍基地の負担軽減を求めて「オスプレイの配備撤回、普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設断念」を求めた県民総意の『建白書』が安倍首相に手交されたが、その理念は未だ実行されていない。
2014年11月の沖縄知事選挙では、公約を破って辺野古新基地建設の埋立てを「承認」した当時の仲井眞知事を破り翁長雄志知事が誕生。保革を超えた「辺野古新基地建設断念」を求める民意は「イデオロギーよりアイデンティティ」という「オール沖縄」の政治潮流を創り上げた。同年の衆議院選挙でも沖縄選挙区のすべてで「新基地反対」の候補者が選出された。
2018年7月、翁長雄志知事は、命をかけて埋立て承認の「撤回」をした。その後に行われた県知事選挙では玉城デニー知事が圧勝した。さらに2019年2月、辺野古新基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票では、反対が72.2%(434,273票)という県民の圧倒的な民意が示された。
しかし、その後も政府は沖縄の民意と地方自治を蔑ろに新基地建設を強行してきた。
公正・公平で中立的立場にあるべき司法も、政府内で濫用される行政不服審査制度による裁決を容認し、国家権力の暴走を止めることなくその役割を放棄している。
沖縄が本土復帰50年を迎えた昨年5月、玉城デニー知事は新たな『建議書』を政府に提出し「米軍基地の存在が県民の人権を侵害し、生活を圧迫し経済の発展を阻害している」と訴えた。
沖縄は、米軍基地からの負担軽減を何度も政府に求めてきた。しかし、オミクロンの市中拡散PFASの地下水汚染、人道に反する遺骨土砂の埋立て計画など、基地に起因する県民の負担は増す一方で、新たな基地建設を受け入れることは到底納得できない。
また、政府は、東アジアの安全保障環境は激変したと国民の不安を煽り、地域住民への説明も不十分なままに南西諸島全域への自衛隊基地の拙速な配備や日米合同訓練を頻繁に実施してきた。そして昨年12月、敵基地攻撃能力の保有など専守防衛に反する憲法違反の閣議決定を行った。安保関連3文章には、南西諸島に長射程のミサイル配備や地上戦継続の為の補給基地の整備などが明記された。辺野古新基地建設に加えて、自衛隊増強と米軍との一体化は沖縄の基地負担を高めるばかりか、沖縄を最前線にする戦争の準備である。
憲法9条は国際紛争を解決する手段として、戦争と戦力の放棄を謳い、前文には「主権は国民にあり今の世代と次の世代のために政府に二度と戦争をさせない決意を」とある。
政府が一方的に進めている抑止という名の軍拡を、私たち主権者が止めなければならない。
国会請願署名は、このような沖縄の現状と県民の思いを改めて県内外に発信するために行う。請願は、民意を踏まえた国会論議を実現し、辺野古新基地建設の断念を勝ち取るために行う。
全国と連帯した県民総ぐるみの国会請願署名で、辺野古新基地建設を断念させよう!
沖縄を戦場にさせない! 日本を米中紛争に巻き込ませない!
県民が、国民が声を上げ続けることが何よりも大切だ!!
ともにがんばろう!!
2023年1月7日 国会請願署名実行委員会 結成集会