オール沖縄会議

落合恵子さんよりメッセージ

落合恵子さんよりメッセージ映像を頂きました。 以下、映像内のメッセージ内容です。 ……… 落合恵子です。 7月の6日だったと思いますが、最高裁の判決 5人の裁判官のうち、お二人がサンゴ礁移植を反対されていたんですよね。県と国、これは上下でも何でもなく、対等だと私は思いますが県と国が 辺野古新基地をめぐる訴訟をして、今まで最高裁までいったのは3件だそうですよね。 そのうちに裁判官の反対の意見が付いたのは、今回が初めてでした。この報道に接した時に「いけるかな」って、正直、私も思った瞬間もありました。しかし、そんな甘くはなかったという現実が、私たちの前にあります。 もう、1回言います。 県と国は これは法律の下においても対等な存在なんです。どっちが上でどっちが下というものではない。このことを私たちは、心に深く刻まなければならないと思っています。 にもかかわらず、どれだけ沖縄県の思いが踏みにじられてきたのか。県民投票の結果は どこに活かされていますか。全く活かされていませんよね? 今度最高裁の判決にしたがって、無念だったでしょうね。知事さんは大浦湾のサンゴ礁の移植を許可するしかなかった。仕方がないです ああいう形になっちゃった。でも、これからまた変わっていくだろうな。 そのために 私たちは何ができるのか、私は私に問いかけたいのです。 沖縄の色々な集まりとか その諸々の集まりの中、それも大体は力に対する反対側で声を上げているわけですが、参加する時に 時々ふっと心が痛くなります。 沖縄大好きです。仕事で行きます あるいは遊びで行きます。 でも、ふっと心の中を覗くと後ろめたさがあるんですよ。 「私には帰るところがある」これは福島についても同じです。 帰るところがある、でも、じゃあ、それをもし「当事者」と呼ぶならば、「当事者」じゃないから、私はものが言えないのか そうは思わない。 だって私たちの国そのもののテーマであるからです。サンゴ礁は単体でも大きな問題ですが、私たち問いかけなきゃいけないことは条件闘争で終わっちゃいけないんじゃないか。 「新基地って本当に必要ですか?」からもう一度 それもずっと問いかけていかないと、大きなこういう問題はいつも条件闘争に持っていくんですよ。 まずは基本として「反対です」からいかないと、例えば五輪の時に お酒を出すか出さないかとか、観客の数をどうするかが 論争のテーマに移っていた。 そうじゃなく「反対」ということ、ここを譲ってはいけないんじゃないか。そのことを沖縄以外に住む私も、私に問いかけていかなければいけないと思います。 1987年かな読谷村の女子高生でしたか。 卒業式の時に日の丸を引きずり下ろしましたよね。 色々な意見がもちろんあってもイイんだけど、それよりもはるか昔から沖縄の歴史は、ずっと屈辱と憤りの形で重なってきたということを忘れてはいけないと思います。 今回の暴挙を見ててね、サンゴ礁が人間だったらどうするのですか? 生存権どうするんですか?そして そのことをやってきたのが、この国なんだという怒りを私たちは決して忘れることはできないと思います。 ご一緒に声を上げさせてください。